私は障害者支援を仕事としている。私の主な仕事は、カッコよく言えばハイドロセラピー、普通に言えば障害者と共に水に浸かって楽しむ仕事ということになる。
障害者のレベルによっても、その支援はまちまちだが、私は主に知的障害を持っているクライアントとの仕事が主である。今、私が主に一緒にプールに行くクライアントとは10年近くの付き合いになる。
今までできなかった動きができたり、50mプールを3.4往復泳げるようになったり、背中の筋肉がついて、頭を支える筋肉の疲れ度が違ってきたりと、そのクライアントの成長やwell-beingに少しは貢献できているのかなと思うと、嬉しくなる。
そういうわけでプール通いは一年中、少ないときで週に3回、多いいときは週末の休みを除いて、毎日通うこともしばしばだ。こういうことを10年ちかくやっている。で絶望感というか失望感満載の事件は昨日起こったのである。
絶望と書くと大げさかもしれないが、昨日のあのときは、本当に絶望した感覚だったのだ。怒りを通り越して、こりゃダメだと悟ったときのあの気持。
昨日、私はクライアントのシャワーをサポートしていた。ドアを閉めて内側から鍵をかけるとき、私はいつも鍵のかかりようを確認している。なぜなら、ずっと前のことになるが、鍵のかけ方が甘かったようで、思いっきり誰かがドアを外から引っ張ったとき鍵がズレて開けられた経験があったからだ。
それ以降は、万全を期している。なのにだ、昨日、クライアントのシャワーの途中でドアが開いた。絶対に鍵をきちんとかけた自信はあるから、何が起こったのか私の脳みそは判別しきれなかった。とにかくドアを閉めなおしシャワーを終え、外からドアを確認してみた。
そこで発見したのは、外から今まではなかった、小さなレバーというか取っ手がついていて、それを回せば内側からかけた施錠が外れるという仕組みになっていたのだ。こんな馬鹿な施錠を見たのは私の人生の中で初めてである。
想像してみてほしい。内からかけても意味のない施錠。ショッピングセンターでトイレにいって、鍵をかけても誰でも外から施錠を解いてドアを開けられる、そんなトイレに誰が安心して用を足すことができるだろうか?
私はプールのスタッフにきいた。こんなカギはありえないと。その時は少々の怒りはあったが、怒りよりも、この馬鹿さ加減はどこから来たのか、その経緯を知りたかった。そして言われたことがこうだった。
”障害者に何かあった時に、ドアを開けることができなかったら助けられないから。悪いけど、この鍵の仕様を変えることはできません。安全性の問題でね”っとのたもうたのだ!じゃ、クライアントのプライバシーはどうなる、あなたはシャワーや、トイレに入っている時にドアを開けられても平気なのか?
一人で障害者用のシャワールームを使える人もいるが、大体は付添人がいることがほとんどだ。シャワールームで付添人が意識不明になる確率はゼロではないが、そんなことを言っていたら、健常者だって個室のトイレで倒れているとかあり得るではないか?っと言うよりその確率のほうが多いいのではないだろうか?だったらそのスタッフの理論で言うならば、普通のドアにも外から開けれれる施錠を使用するべきではないか?
そのスタッフは多分、自分でも外から開けられる鍵はちょっとおかしいかな、とは思いながらも、障害者を守るためという大義名分を出したのだろう。自分は開けられたら絶対に嫌なくせに、障害者ならいいということなのか?!!
昨今、オーストラリアでは障害者の人権や社会的地位の向上に力を入れている。障害者も暮らしやすいインフラ整備や、それに向けての意識はかなり高い国だと思う。だのに、このプールの鍵のように、誰が考えてもおかしいやろう?っと思うことをマネジメントが、シャーシャーと決定した?この人たちの脳みそはどうなっているのだ。
私はすっかり絶望していた。この街で一番大きなプール。もう20年もまえから市民に親しまれているプール。私が10年以上もクライアントを連れてきたプール。1ヶ月ほど前にマネジメントがかわり市の経営からプライベートの会社に移行した。
でも、どう考えても外から鍵を開けられるシャワールームには納得いかない。私は上司に報告した。私の上司は意味不明なことが嫌いな人間だ。多分、この上司ならマヌケなプールのマネジメントにお灸をすえてくれそうな気がする。来週は無理でも再来週くらいには、鍵が変わっていたら嬉しい。