7、8年ぐらい前かと記憶しているが、ここオーストラリアでは子供の連れ去り奪還作戦の話題に注目が集まったことがある。父親によってレバノンに連れ去られた子供の奪還の様子が、通りに設置されていたセキュリティカメラに写っており、短時間であるがその様子がテレビで放映された。
2人の子供が、連れ去りをした父親方の祖母と歩いて学校に行く途中で、奪還を依頼されていた組織の者に掴まれ車に乗せられそうな映像である。もう映画に出てくるシーンそのものって感じであった。その奪還作戦は失敗に終わり、オーストラリアから連れ去られた子供の母親、及びそれに関わっていた者たちが逮捕されレバノンで勾留された。
このとき、私は始めて、世の中には子供の連れ去りから子供を奪還し、連れ戻すスペシャリストの組織があることを知った。このレバノンでの事件ではCARI(Child Abduction Recovery International)という組織による関与だった。このような組織はこれ一つだけではないようである。
もちろんのことだが、依頼すると、かなりの費用がかかる事は想像にかたくない。この事件の場合も 1000万円以上の報酬になるため、連れ去られた母親には工面できる金額ではなかったが、オーストラリアの大手テレビ局が、この顛末のストーリーの放送権と引き換えに、テレビ局がその費用を請け負うことで合意があったらしい。
レバノンはハーグ条約非加盟国である。アフリカや中東などに非加盟国が多く、アジアでもチラホラ 非加盟の国が存在する。日本もハーグ条約に加盟したのは2014年のことで、欧米などから比べると随分遅れての加盟だった。ハーグ条約は子供の連れ去りについての条約であり、連れ去られた子供を まずはいったん、元の国に連れ戻すことを前提に、お互いの国が関与し協力するという条約である。
このレバノンの事件も、レバノンが加盟国であったら、もっと違う形で子供を連れ戻すことができたのかもしれない。しかし、世の中には非加盟国があるのは事実だし、では加盟国なら子供の連れ戻しは 100%可能なのかというと、それも疑わしい。だからこそ前記のCARIのような、まさしく奪還という言葉がすっぽり当てはまるやり方で、子供を連れ戻すスペシャリストが存在するのだろう。
この組織のサイトでは、過去の連れ戻しの成功例やなんかが、アーカイブで読むことが出来る。またホリデーシーズンになると、子供の連れ去りが多くなるので要注意などという、注意喚起の情報も掲載されている。このレバノンの事件もホリデーが要因となっていた。
別居中の父親がホリデーシーズに入ったから、その間だけレバノンで子どもたちと過ごしたいというので迎えに来て、オーストラリア人の母親は子供が父親と渡航することを許可したのだった。ところが渡航して数日の後、レバノン人の父親は、2人の子どもたちはオーストラリアには返さないと、子供の母親にSkype で知らせてきたのだった。
連れ戻し作戦が失敗し、彼女自身もレバノンの警察でしばらく勾留され、その後、子供の父親からだされた条件にすべて合意することとの引き換えに、オーストラリアにいったん帰ることができた。しかし彼女はレバノンでの司法での裁きにかけられているようで2023年の今現在でも、その判決を待っている状態のようだ。もちろん子供とは会えていないままだ。
なんとも恐ろしい話である。振り返ると、もし私が悪人であるならば、日本にちょっと帰省すると言いながら、そのまま連れ去りができたかもしれない。離婚したころは、日本はまだハーグ条約に加盟していなかった。でもさすがに子供のことを考えると、そんな事は1ミリも考えることができなかった。
今、その子どもたちはどんな気持ちなんだろうか?連れ去られたときが5歳と2歳だったというから下の子供は母親のことなど、覚えていないだろう。上の子も5歳のときの記憶が段々と、遠のき始めているかもしれない。連れ戻しの際の、あの恐怖が今でもトラウマになっていたりするかもしれない。連れ去った親は心が傷まないのだろうか?母親に会いたいと泣いていただろう小さな子供を前に、それでも自分の気持ちを優先したかったのだろうか?
元、夫婦間のことなど、他人からは推測できないし、きっと他人にはわからない諸々のことがあったのだろう。どっちが正しいとか間違っているとか議論しても意味がない。議論すべきは子供の気持ち。でも子供は自分のことなのに決定権がないという理不尽さ。
CARIなどの子供の奪還に携わる人の気持ちはどんなだろう? 自分にも子供がいて、その子供がまさに奪還しようとしている子供の年齢くらいだったら?だれも勝者のいない子供の連れ去り。 そういえば、最近お茶の間のニュースで出てきた、あのスポーツ選手の子供の連れ去りは、どうなるのだろう?
レバノンでのあのような連れ戻し作戦には発展するとは思わないが、日々子供は成長し、その成長は見逃し配信などしてくれない。前回の親権のことでも書いたように、親の人間としての成熟度が試されるときだと思う。