忠犬ハチ公と歴史の話

想うこと

焼き鳥目当てで、ハチは毎日駅に通ったのか? いや、そんなことはハチに聞いてみないと、本当のところはわからないだろうに。でも犬なんだから、聞いたとしても答えられない。歴史だって、何千年と生き続けた人はいないのだから、その歴史は正しいのかどうかも、分からない!

ニュースで渋谷のハチ公撮影のために、観光客が長い列を作っているのが報道されていた。海外にまでハチ公は有名になったのか?っと調べてみたら、かなり前になるがリチャードギア主演の映画にもなったと書いてあった。

収益理由で、劇場上映は日本だけ(?)で、アメリカなどでは、DVDオンリーだったとか?でも、まあ、それなりの俳優を主演にしているからには、それなりに観ていた人もいたのだろう。

ハチが駅に通い続けた理由が、焼き鳥目当てだったと言う説がある。私もどっちかといえば、死んだ ご主人様より焼き鳥目当てだったに一票いれたい。私は、子供の時から犬も猫も飼っていた。どっちも大好きで家族同様であることに疑いの余地はない。

しかしだ、10年近くもの間、毎日御主人様を探しに駅に行く犬の話には、なんか違和感があった。昔、昔その昔、岸壁の母という歌があった。私の母がよく歌っていたので、はじめの方の歌詞など今でも覚えている。”母は来まし〜た、今日も来た。この岸壁に今日も来た〜”で始まる歌だ。

戦地からの引揚船が帰ってくるたびに、自分の息子を探せど乗っていない。もしやもしや、今日こそ帰って来はしないかと、10年の間、毎日岸壁に来る母を歌ったものだ。当時、子供ながらに、想像するだけで切ない気持ちになったのを覚えている。今で言うなら、米津玄師のレモンとかシンウルトラマン的な、切ない歌だ。

話が大いに脱線したが、私が思うのは、人間なら岸壁の母はありだろう。だが犬に岸壁の母のように、帰らぬ御主人様を待って、十年間駅に行くほどの心があるのだろうか?犬好きの私はそうであってほしいと思いたい。焼き鳥目当てでなく、御主人様を目当てに!

でも、犬を知っているからこそ、最初の数ヶ月はありだと思うが、十年近く通うのには無理があると思うのだ。いやいや、最初はいじめられていたんだし、焼鳥もずっと後にになってからでしかもらっていないんだから、やっぱり御主人様を迎えに行っていたのだ!!っと反論されそうであるが。

なので、ハチに聞いてみないことには真相はわからないのである。ここでやっと本題なのだが、歴史もそうじゃないかと思うのである。何千年も昔のことを専門家が解き明かしているというが、それはあくまで仮説であって本当かどうか分からないのではないか?本当かもしれないしそうでないかもしれない?全部ハズレじゃないけど、部分ハズレもあるとか。

また、何千年と継承されている言い伝えだって、途中で誰かが自分の意見を入れて伝えてることだってあるだろうし、継承のために書記する人が、勘違いして勝手に書いたところとかもあるんじゃないのか?もしくは、真実より自分の信じたいことを継承するなんてこともありはしないのか?

だとしたら、歴史はこうなんだからと言う固執が戦争に発展するのは残酷すぎるではないか?その固執する歴史が本当にそうであったのだろうか。話の終わりの着地点がイマイチだが、ハチ公に思いを馳せたら、こうなってしまった。いつも尻切れトンボで終るブログだ。

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